新入生歓迎会にて放映されたかつての先輩の作品に魅了されてしまいアニメ研究会に入部、自身も「絵を動かす楽しさ」に目覚めていく女の子の半年を追った『ハックス!』。2038年という近未来の夏休みを舞台に、小学生の男の子と彼の元にやってきたお手伝いロボットが織り成す、友情と別れを描いた『ぼくらのよあけ』。今井哲也先生は、少年少女達の揺れ動く感情を、瑞々しいタッチで描いてきた漫画家である。
そして今井先生は、あの赤松健先生なども輩出した、中央大学アニメーションがご出身ということで、学生による創作サークルとも縁が深い。来月より新たな雑誌での連載を控える(取材当時)今井先生に加え、「公開インタビュー」ということで今井先生ファンの学生もお招きし、これまで/これからのことを学生全員で伺った!

 


アニ研時代の「思い出」

大学でアニメーション研究会を選んだ理由は何なのでしょうか?

今井以前から漫画はずっと趣味で描いていました。ただ漫画って1人でも描けるんですよね。高校の時の漫研はそんなに活発でなくて、文化祭の時に年1回会誌を出すくらいでした。ほとんど全員が部活の掛け持ちをしていて、普段から常に漫画を描いている人は僕くらいしかいませんでした。学校の漫研のありがちな風景として、本気で描いている人ほど部室に来なくなる(笑) ある程度以上真剣に描き出すと話が合わなくなってきて、「君は凄いんだねわかったよ」と、相手が引いていく時がどこかでくるんです。 変な話、漫画家になってデビューして、東京に引越してくるまで周りに漫画を描いている友達はいませんでした。
そんな経験があったので、大学ではきちんと活動しているサークルを探そうと思ったんです。その中でアニ研は、毎年自主制作で作品を発表しているのを売りにしていました。自分が知らない世界を新しく勉強しようとも思い、アニ研に入ることを決めました。

先生はどんな新入生でしたか?

今井大学入った頃は今と違い、アニメを全然見ておらず、むしろ美少女アニメとかを馬鹿にしていたぐらいです。「俺はもっと高尚に、創作ってものを考えているんだぜ」内心思っている、勘違いしている系の新入生でした。そのせいもあってアニ研に入ったものの、最初の頃はそんなに真面目に活動していませんでした。年2回、各大学が集まる合同の上映会と文化祭での上映があり、それぞれの作品を作るとなった時に、各部員に課せられる分の動画をやるぐらいでした。あのままでは痛い人のまま終わる、ギリギリの所でしたね……

そんな中、転機はどこにあったのでしょうか?

今井文化祭で上映する作品は、3年生を中心としたメインの共同制作作品になっていたんです。代々文化祭が終わると3年生から役職の引き継ぎがあり、次の1年間で1本アニメを作るという流れでした。僕達の代では、監督を任された男がとにかく凄かった。自分でアイディアをポンポン出す上に、人一倍凄い量の作画をするような人でした。自分が出したアイディアを自分で勝手にどんどん絵に起こしちゃうんで、他の部員は彼と同じだけ描いて提出しないと、口を挟むことができないんですよ。監督本人も、口には出さないまま無言で動画を一杯描いて、やる気のないヤツを会室に入りづらくさせるということを平気でやる人でした。
監督の彼と、途中から僕も参加して、2人でひたすら制作するという環境ができあがったので、やる気のない人が黙って部室に来なくなるという……僕と監督は、むしろS心をくすぐられてその状況を楽しんでいる節がありましたね。

オタク系サークルとは思えないスパルタぶりですね……

今井もう一つ彼の凄かった所として、「作品は、完成させなければ意味がない」というスタンスを取っていたところです。学生とかアマチュアの創作サークルですごく多いパターンとして、こだわりすぎていつまでも作品を完成できないことがあると思います。監督は、どんな酷い出来であろうが、スケジュールに間に合わせるために何度妥協しようが、とにかく作品を1本完成させる方がよっぽど大事だと初めから強調していました。オタク系サークルにいながら、このバランス感覚をどうやって身に着けたんだろうと不思議でしたね。

そのような監督の元でできた作品は、どのようなものだったのでしょうか?

今井『魔法少女オイキムチX』という、キムチの国の妖精さんと、魔法のキムチで変身する魔法少女が怪人を倒すという作品でした。とにかくアニメのパロディが満載だったので、彼に振り落とされないためにはアニメを一杯見て勉強しないといけなかった。アニメを本格的に見始めたのがその頃ですね。
最近はtwitterで美少女アニメのことばかりつぶやいていますが、大学1年の時から僕の事を知っている同期は、最近の僕の発言を見て、結構引いています(笑)

「あのちょっとお高くとまっていた今井君が!」みたいな感じでしょうか(笑)
学生時代に、創作のために勉強したことは何かありますか?

今井大学入って落ち着いてきた頃から、とにかく映画を色々見ていましたね。後は絵コンテ集とか、アニメの映像の作り方の本を読んでいました。富野由悠季監督の『映像の原則』とか、押井守監督の『パトレイバー2』のレイアウト集とか。その上でアニメ見たり映画を見たりと、創作に関しては映像のルールから学んでいきました。
僕の漫画って映像っぽいという感想を頂くことが多いんですけど、映像の作り方を土台にしてネームを起こしているからだと思います。

(Kさんの質問)好きだった映像作品を具体的に教えて下さい。

今井いわゆるミニシアター系の、しっとりした画面作りが好きでした。黒沢清監督や相米慎二監督の作品が凄く好きでしたね。相米監督の1カットがずっと続き、その場所の空気みたいなのが画面の中に落とし込まれている感じが好きでした。
あと細田守監督の『時をかける少女』は、絵コンテを何度も読み返しました。映像的にいって、その辺りが1番好みのベクトルとして強いですね。

制作したアニメで、担当した部門はどのような所なのでしょうか?

今井ひたすらバイクを描いていました。
変身に使うキムチが、安くて不味いキムチだと力が出ないという設定があったんですけど、最初主人公が不味いキムチで変身してピンチに陥るんです。作中に「キムチの山田屋」という、架空の超美味しいキムチを作るメーカーがあって、携帯で山田屋に電話をかけ、バイクでその場にキムチを配送して貰う。しかもそのバイクでやってくるおっさんが超強くて、バイクで怪人をはねて瀕死にしちゃう(笑) 変身した魔法少女はトドメを刺すだけっていうストーリーでした。僕はその配達に来るおっさん担当でした。

先生自身は、どれくらいの枚数を描いたのでしょうか?

今井詳しい数字は覚えていないですけど、完成した作品は30分くらいありました。OP・EDにA・Bパート、合間のCMまで作りました。そのアニメ自体が「キムチの山田屋」提供という体でやっていたので、実写班を作って、「キムチの山田屋」のCMまで作りました。作中でも主人公が、ひたすらキムチの山田屋を褒め称え続けるという(笑)

実際に作品を見てみたくなりました……それだけ枚数を描くと、画力もメキメキ向上するのでしょうか?

今井作業量がとにかく多くて、流れ作業になってしまうので、劇的には上がりませんでしたね。ただ、「判断力」みたいなのが身に付いたのが大きかったです。
漫画の制作もそうですけど、何度も作品を描いている内に、自分の作画ペースが分かってくるんです。このページ数ならこれくらいの期間で終わるだろうという風にスケジュールを組み立てることができるようになります。その能力は、プロで仕事をする上でとても大事です。すごいアイディアが生まれて、とにかく描きたいと思っているんだけど、実際に描くとしたら作画的に締め切りには間に合わうのかどうかを、どこかで判断しないといけません。アニメの制作を通してその感覚が凄く鍛えられたので、その後プロで漫画を描くか描かないかという時にすごく自信になりました。

アニメ制作の他に、漫画の執筆はどのように行っていたのでしょうか?

今井大学でバイトを始めたおかげで小遣いも増えたので、漫画を一杯買う様になりました。当時買っていたのは、モーニングやビッグコミック等の青年誌を中心に、アフタヌーンにコミックビームと、漫画好きの大学生が読むような系列の作品を読んでいて、自分の描く漫画の傾向も自然とそっち方向になりました。最初の持ち込みも、たしかアフタヌーンにビーム、スペリオールとかですね。4年になってから本格的に、アフタヌーンの四季賞に絞って投稿するようになりました。

(Tさんの質問)漫画家になろうと思った時期っていつですか?また将来設計をどのように考えていましたか?

今井文化祭が11月だったんですけど、その後クリスマスくらいに合同の上映会があって、そこにOP・EDを含めた完成版を持っていくことにしたんです。その制作に日夜明け暮れていたんですけど、それが終わったら3年の冬なんですよ。就活始めるにしても若干手遅れ感が漂い始めていました。しかも僕は文学部史学科という、そもそもが将来のことを考えているような人が行く学科じゃない(笑) そこで自分が何をしたいかとか、現実的に自分の手持ちのカードを冷静に考えた時に、実は漫画関係の仕事にならどこかしら潜れるだろうという感覚がありました。
残りの大学1年間で、単位は必修と卒論ぐらいしか残っていませんでした。じゃあ残りの時間を就活の変わりに、全部家に引き籠って漫画を描けば、それなりの物ができるんじゃないかと思い、実際に行動に移しました。
とにかく漫画家とアニメーター以外、他の職業のことを全然知らなかったせいで、自分がそれをやっているイメージがどうしても湧かなかった。大学が主催する最初の就活セミナーがあって、1番大きいホールにその年の就活生が全員集められて、心構えやらOBの成功談とかを聞くんですけど、別世界の事にしか感じられませんでした。一方で、普通に働き出したとしても、趣味で漫画・アニメを作るかもしれない。だったらそれを仕事にした方が、生き方として効率が良いんじゃないかと思いました。

周りが就活を始める時期で、初めて踏ん切りが付いた訳ですね?

今井実際は大学を卒業してから連載デビューするまで2年近く掛かり、実家でアルバイトしていたんで、社会人としては不良でしたね。

その2年間で学んだことってありますか?

今井おそらく全ての新人さんが通る道なんですけど、最初に学ぶのは「自分がその作品に思い入れがあるかどうか、『どれだけ頑張って描いたのか』、というのは、読者にとって一切関係がない」ということです。読んだ人にとって、その漫画が面白いかどうか以外の価値基準を持たないし、それ以外の所で、自分の漫画を評価してもらおうとするのは良くないことだというのを、徹底的に教え込まれました。自分が死ぬほど頑張って、思い入れのある作品を描くのは「当たり前」であって、面白さとはまったく関係ありません。それを面白いと言ってもらえなかった時に、怒るとかやる気を無くすというのは、筋違いだというのを学びました。
本屋で漫画を選ぶ時って、表紙を見てパッと面白そうかどうか判断して、買う買わないを決めるじゃないですか。それって良い漫画が残るために絶対必要なことで、そうやって選ばれているんだという意識を、常に持たなければいけないと思います。
描いたネームがどんどんボツにされ、それでも心が折れないようにするとどうしてもそうなるんですけどね(笑)