奇妙な惹句を掲げた漫画の話題が、現在沸騰している。『日本一の授業サボリ漫画』……森繁拓真先生が現在、コミックフラッパーにて連載中の『となりの関くん』という作品だ。どこにでもいるような女子学生、横井さんのとなりの席に座る関くんは、授業も聞かずいつも一人遊び。将棋の駒が仲間割れ!ポーンが合体して巨大ポーンに!彼 の遊びは常に予想の斜め上を超え続け、横井さんはひたすらオーバーかつコミカルなリアクションをし続ける……そんな「机上完結型コメディ」が、今やJRの 車内広告に登場する等、普段漫画を読まない人にまで広がりを見せている。
今回は現在4作品を同時執筆中(取材当時)の多忙を縫って頂き、森繁先生へのインタビューを敢行いたしました!

 


学生時代から初連載作品まで―不遇の(?)10年間―

絵や漫画を描き始めたのはいつ頃ですか?

森繁拓真先生(以下敬称略) 小学校ぐらいから鉛筆で描き始めていました。すぐに2ページとか4ページとかの短い漫画を人に見せるようになりましたね。そういうのを中学校ぐらいまで続けていましたね。

以前のインタビューでは、高校生の時にパラパラ漫画を描いていたと仰っていました。「関くん」の3巻のではパラパラ漫画をネタにしていましたが……
森繁 パラパラ漫画をやろうとなると自分が昔やってたものよりスケールアップさせないといけないので、ネタとしては避けていたんです。僕がやっていたのは、辞書にパラパラ漫画を描くこと。教科書はすぐに全部書き終わってしまったので、辞書ならいつまでも描けるなと思ったんです。それで、辞書に描くと友達にも宣言したんですけど、全然 終わらなくて……3日半くらいずっと、授業中も家に帰ってからも描き続けました。見せると言ったからには終わらせないとと思って必死でした(笑) 見せる相手がいなかったら描き終えられなかったと思います。

子供の頃はどんな漫画を読まれていたのですか?

森繁 普通に少年誌、特にサンデーが好きでした。後はウチの姉の影響で、少女漫画をいっぱい読んでいました。姉は姉で、僕の買ってたジャンプ・サンデーを網羅して読んでいました。普通の人の倍は読んでいるのでそこが強みにはなったかなと思います。今でも自然に描くとつい少女漫画っぽくなりますね。好きな漫画家さんは、少女漫画に多いので。

具体的な作家さんを教えて頂けますか?

森繁 今でも買ってるのは『BANANAFISH』の吉田秋生先生とか。今『海街diary』やっていて、毎回急いで買いにいきますね。あとは吉野朔実先生やいくえみ綾先生、よしながふみ先生とかですね。結婚しているので、嫁さんが買ってくる最近の作品も読みますよ。

ペンを使って描くようになったのは大学に入ってからですか?

森繁 大学に入ってかなり経つまでなかったですね。就職活動の変わりに、初めてちゃんとした原稿を描いて投稿するようになりました。それまでは、トーンを使ったこともありませんでした。大学の購買部にいったら、多分建築のイラスト用だと思うんですけど、小さいB5サイズのスクリーントーンが売っていて。ははぁ、これが トーンかって言って貼ってみたんですけど、後々気づいてみたら全部「砂」トーンでした(笑) これが一番細かくて綺麗だな、って思って陰を全部砂で貼って投稿していました。今ではもう当時の作品は見返せないですね(笑)

プロを志すきっかけは、就職するぐらいなら、漫画家になりたかったという……

森繁 成績が悪くて希望するのとは違う学科に進んでしまって、希望の就職先に行けない可能性が出てきて……就職したくなくなったっていうのが、1番強いやる気だったかもしれないですね。

最初に投稿を初めた時から「漫画家になるぞ!」、と強く思っていたのですか?

森繁  どちらかというと無理かなっていう気持ちも強かったです。周りの志望者は、中学高校の頃から描いていたりする。自分は遅めに始めて不安もあったから、一度試すという気持ちで、がっちり取り組んで、1~2年様子を見ようと当時は考えていました。

漫研などには入らなかったのですか?

森繁  入りませんでした。最初に漫画描く時に、漫研入るのは「負け」な気がして……やるなら自分1人でやるぜみたいな気持ちがあって。仲間内でキャッキャ見せ合うなんて、ナンパなやつがすることだ、って思っていたのかな?漫研の人には大変失礼ですけど。ただ、自分で描き始めた時は、寂しくなって夜中に勝手に漫研の部室に入り込んで部誌を眺めたりしました(笑)

どうやって忍び込んだのかが気になります(笑) 現在確認のとれる受賞された漫画賞は、2000年のちばてつや賞優秀新人賞です。いつ頃受賞したのでしょうか?

森繁  それは東京に来てからですね。その前に、ヤングマガジンの月例賞の、一番下のともう1個上の賞を、4年の時に取りました。小さめとはいえ、2個も賞に引っ掛かって、まあこれなら続けてもいけそうかな、という気持ちにはなりました。

デビュー後は、別冊ヤングマガジンで作品を何本も発表することになりますよね。その時はどんな気持ちでしたか?

森繁  その時は描けば載る状態で、ウハウハでしたね。凄い貯金も貯まってましたよ(笑) あんまり描き込みもしなかったのもあって、1ヶ月に1本、1人で描いていました。全然楽勝だなと思ってましたよ、当時は。ただ、単行本になると言われて、頑張って描いていた連載がならなかったんですよ。その辺からケチが付き始めて……

『学園恋獄ゾンビメイト』でしょうか。

森繁 そうです。単行本2冊分描き溜めていたけど、当時は人気が無かったので単行本が出なかったんですよ。それから編集部では、「載せても意味ないじゃないかコイツ」みたいな感じになってきたらしくて。

作品数はかなりの数載せていましたよね。

森繁  載った作品に加えて、実際にアイディアやネームに起こしたのはその5倍くらいあったかな。月に2~3本はネームを描いてたけど、それを全部ボツにされていました。おかげでアルバイト生活に逆戻りしたりとまあ酷いものでしたね……今や空白の5年間になってしまいました。だから「関くん」が出た時に、「良い新人が現れた」みたいなことを言われて(苦笑)

「脅威の新人デビュー!」みたいな(苦笑)

森繁 ふざけやがって!という気持ちにはなりましたね、こっちは10年漫画家やってるのに!って。

この辺の作品は、初期作品集として是非復刊してもらいたいですね。

森繁 恥ずかしいは恥ずかしいですけどね。でも出てくれたら、読んでいた友達とかも喜んでくれると思うので。