日常・死・成長。「真っ当」な少年漫画を描き続ける理由とは

「さみだれ」の作中に「かっこいいだけじゃかっこ悪い」という台詞があります。それが端的に表しているように、先生の生み出すキャラクター達はそれぞれが自分の弱さを抱えているようなキャラ造形をしています。そのようなところからは、少年漫画として非常に「真っ当」であるように感じるのですが、いかがでしょうか。

水上それはもう、中学高校の頃に感じていた「カッコいいものや気取ったものに対する妬み」があるのだと思います。自分が学生の頃はバスケブームとかバンドブームなどいろいろあって、もてはやされている人気者達はみな、いかにも「私は掃除や料理はしません、そんなことは誰かがやってくれます」みたいな気取り方をしていて、自分はそれを見て引いちゃったんです。「ダサい」と。
自分達の「生活感」を感じさせないことでかっこよさを演出しているというのが、気持ち悪いと思ったんです。それをいくつまでやるつもりなの、そのテンションや物言いから出るかっこよさとやらは、いつまでも保ち続けられるものなの?と。それでも彼らだって飯を作ったり、コンビニでおにぎりを買って食べないといけないじゃないですか。そういったところからですね、「かっこいいはかっこ悪い」と思うようになったのは。

また、少年漫画では主人公達の前に立ち塞がるものとして大人達が敵のように描かれることも多いですが、先生の描く大人のキャラがみなかっこいいことからも「真っ当さ」を感じます

水上それもたぶん人気作品への僻みです(笑)  たかだか十数年しか生きていない主人公が、若いまんま最強という感じで描かれていると「お前は一体誰に育てられたんだよ」って思ってしまいます。自分が子供の頃は「10代最強!」という漫画ばかりだったのがすごく嫌でした。その主人公がひたすらかっこよく悪い奴らをやっつけていくシーンを見ていると、なんだかすごく大人のキャラクター達が馬鹿にされているような気がしました。
それに主人公がどんなにかっこいい少年だったとしても、いつかは大人にならなきゃいけないわけじゃないですか。大人になってもかっこいいままの主人公ってどんなんだろう、と考えたとき、それなら主人公の未来の姿としてかっこいいじいさんみたいなのを出しておかないと駄目だなと思ったんです。

主人公の脇を固める大人達がちゃんとかっこいいからこそ、主人公が「かっこよくなる」ことがより際立っているように感じます。

水上大人だけじゃなく、脇役が悪く言われてしまうことが自分は苦手なんです。たとえば『ドラゴンボール』のヤムチャって読者から「弱い弱い」とネタにされるけど、それは悟空達の中では弱いだけであって、あいつ一個人の戦闘能力はものすごく高いじゃないですか。なのに皆から弱いと言われ続けているのが自分は嫌でした。だから自分の作品では、脇役のキャラクターでもしっかりと「キャラ」を立てようと思いました。少年が主人公なら大人は脇役になるので、その大人達も立てたほうが良いなと。
大人に絶望したまま、年を取るのがかっこ悪いって思っていたら、生きていられないですよね。それに自分の場合、プロの漫画家になってからやっと自分の人生が始まった気がしたんです。子供の頃は生きている気がしないというか、本当につまんない人生だと感じていました。それもあって、大人になってからのほうが絶対に楽しいなと思ったんです。お金は好きに使い道を考えられるし、何変な時間に変な物食べても誰にも怒られないし(笑) それは自分が組織人ではないからなのかもしれないけど、大人のほうが絶対良いというのは、プロになってから強く思うようになったことです。

そんな「大人と子供」もそうですが、出てくるキャラクターごとの「対比」が作中で鮮明に浮き上がることが多く、そういった点も台詞を熱くする一つだと思っているのですが。

水上あっちであんな格好良いことを言っていたのに、こっちではそれが否定されるといったほうがキャラクターが「生きている」感じがするし、ドラマにもなりやすいので対比はあったほうが良いです。キャラクターそれぞれ考えていることが違って、その人なりの信念から「これが1番正しい」と思える思考法があるんだということは常に頭にあります。
それとキャラクターに自分を重ねすぎると、自分が好きなこと・思想をただ発表しているだけになってしまうので、なるべくカウンター的な思想は用意したほうが良いなと思っています。そしてその物語のなかで出てきた考え方のなかから、「こっちの考えが正しい」というのは出さなくて良いなと思っています。

バトル漫画である以上、勝ち負けは必ず出てくるものですが、先生の気持ちとしては「正しい方が勝った」ということではないのですね?

水上自分は「勝負は時の運」だと強く思っているので、その瞬間勝ったからといってその人が強い訳ではないという意識で描いています。
「時の運」というものを強く感じたのは、たとえば大学受験のときです。試験日が1日目と2日目にわかれているときに、1日目はすごく調子が良くて手応えがあったので2日目は「行かなくてもいいか」と思えるぐらい気楽に受けにいったんです。それで合格発表を見にいったら、1日目は落ちていて2日目は受かっていた。それを知ったときにはゾクッとしましたね。
それから大学で入っていた日本拳法のサークルにいた師匠がいっていたのも、「勝負は時の運であり、毎日練習をするのは瞬間瞬間の運を掴むためだ」というものでした。だから、どっちが勝ったからどっちが強い・正しいというのはなるべく固定せずに考えようと思って描いています。

そのような葛藤や対立を乗り越えて、主人公達は確実に成長していきます。中々未来に展望が見えない現代において、単純な「成長物語」を描くことは中々困難だと思うのですが、水上先生は「成長」を描くことに強いこだわりはあるのでしょうか。

水上物語が始まったのなら、最後は主人公が成長しなければ終われないと思います。最初のページと最後のページで主人公の顔付きが違わないと、その物語が存在する意味がなくなると思うので、何らかの成長は描こうと思っています。
自分が読んでいても読後感がスッキリだと良いなと思っているので、結局は自分が読みたい漫画を描いているだけだと思います。自分に何か強いこだわりがあるわけじゃない、ただ自分が好きなだけです。