Q1.学生時代を先生はどのように過ごしていましたか?

五十嵐藍先生(以下五十嵐)普通だと思います。イラストレーターかデザイナーを目指してました。漫画は趣味で描いていましたが、 特に漫画家を目指したりはしていませんでした。

Q2.本格的に漫画を描き始めたのはいつ頃でしょうか?

五十嵐2005年のコミティアの同人誌です。

Q3.同人活動に参加されるようになったきっかけを教えてください。

知人が出てて興味を持ったからです。

Q4.プロの漫画家になろうと決断したのはいつ頃ですか?

五十嵐Webデザインの会社の会社員をしていた時に、ワニマガジン社の「robot」という雑誌の編集さんに声をかけられたのがきっかけです。コミティアで出した同人誌を見て声をかけてくれたようです。
結局その時は実現しなかったのですが、最近ワニマガジン社の「138°E」という雑誌で描くことができました。

Q5.「第26回エース新人漫画賞奨励賞」が商業デビューのきっかけになったのだと思うのですが、受賞までの経緯を教えてください。

五十嵐そのrobotのネームを描いていた時に、同じくコミティアの同人誌を見たエースの編集さんから声をかけられました。そこで新人賞に出してみない?って言われて、描いて出して、という流れです。

Q6.初連載に至るまで、何本か読切を掲載することになったようですが、その当時苦労したことなどあれば教えてください。

五十嵐基本的に全部代理原稿だったので、急に話が来て1〜2日で描いてって感じで、 タイトルも担当さんに任せてましたし、あんまり考える時間はなかった感じですね。

Q7.連載作となる『鬼灯さん家のアネキ』では、なぜ「姉モノ」にしようと思われたのでしょうか。また、4コマという形式をとるようになった理由はなんですか?

五十嵐姉モノっていうジャンルは知らなくて、これも元々は姉弟じゃない設定で作ってたのですが、最後の方で思いつきで姉弟にしました。4コマなのは、最初から、4コマのマンガを描いて、という話だったからです。

Q8.「アネキ」とほぼ同時期に描かれた同人誌を拝見すると、シリアス色の強い作品も描かれていたようです。そんな中、雑誌で描かれた読切や「アネキ」がコメディ色の強いものとなったのはなぜでしょうか?

五十嵐雑誌の読み切りやアネキは雑誌のカラーを意識して作ってますし、同人誌の方は、その辺は自由に作ってた感じですね。

Q9. 「アネキ」で、それぞれのキャラクターを描く上で気を付けていたことがあれば教えてください。また、描いている間に先生の中でキャラクター像が変化していったキャラがいれば教えてください。

五十嵐特にないですけど、基本的にギャグマンガなのでギャグになるようにってくらいですかね。変化もギャグに合わせて全員変化はあると思います。

Q10.3巻の水野さん回は、作中で最もシリアス度の高いものでした。なぜあのような回を入れようと思われたのでしょうか。

五十嵐オチとかけっこうギャグのつもりです。これも水野をかわいく見せるためにって考えてやりました。3巻がサブキャラ達のいいところ見せようとした巻でもあったので。

Q11.「アネキ」は4巻というコンパクトな巻数で完結を迎えましたが、連載当初からそれぐらいのボリュームになることを想定していたのでしょうか。

五十嵐編集さんと相談の上でその巻数になりました。連載版になった時になんとなく終わり方は意識してましたが、明確に決めたのはその相談の後ですかね。

⇒後編は創作全般と連載中の『ワールドゲイズクリップス』について!

 


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