『さんかれあ』で作風が変わった「本当の理由」

先生の作品のお話作りの特徴として、『さんかれあ』でもそうなのですが、まず1巻の初めに「一番大きな謎」をどーんと立ててしまうところがあると思うのですが。

はっとりそういわれると多いですよね。クセみたいになっているので、次回作からは考えたほうが良いんじゃないかと今思ってきました(苦笑)
ともかく、これはマーケティングみたいな話になっちゃうんですけど、単行本全体で1番大事なのは「1巻のヒキ」なんです。とにかく1番最初で引き付けてナンボだし、1巻のヒキの強さで2巻目以降を買ってもらわないといけません。そのためには、1巻の中にどれだけ引き付けるものを入れられるかが鍵です。そのためには大きな謎や伏線をどうしても入れてしまいます。
1巻目の売り上げが伸びないと、編集部側や書店側がプッシュしづらくなります。逆に一度跳ね上がると、部数が落ちるスピードはかなり緩やかになります。それ以降は、たとえつまらなくなっていったとしても「惰性」で買ってくださる読者が一定数いらっしゃるんですよね。袋も開けていないけど、とりあえずは買ってはおくという。それも売り上げとして数字には残ります。
「この作家だから買う」という読者は、思った以上に少ないんです。たとえば1巻あたり数十万部の売り上げを出している作品の作家でも、漫画家個人の名前で売り出す短編集は2万部も出れば多いほうです。作家ではなく作品に付いているファンがほとんどなので、次の新連載を立ち上げると、それこそ「惰性で買われているファン」の人などはそこで切ってしまうんです。『さんかれあ』の「れあ」が好きだから『さんかれあ』を買っているのであって、自分が別の作品を描いたら、「れあ」が出ていないから買わなくなる、そういうファンの方が実は沢山いらっしゃいます。色んな編集さんとも話したんですけど、前作で数十万部のヒットを飛ばして同じような感覚で次回作を描いてみたところ、ふたを開けてみれば想定していた数字の大分下だった……というのがザラにあるのは、そういうことなんだと思います。
自分の中では、そうやって「切られる」のは前提だと思っています。だったら新しいものを、生まれ変わった気持ちで描いていくほうがまだ可能性があるんじゃないか。そう思って描き始めたのが『さんかれあ』なんです。

確かに『さんかれあ』では、特に絵柄の変化が急激で、当初は驚かれた読者も多かったのではないでしょうか。

はっとり「え、これウミショーの作家なの?」とはよく言われました(笑)
『ウミショー』までは自分のセンスみたいなもので突っ走っていってもなんとか食べていけたんですけど、30代にもなって、「そろそろ自分のセンスとか才能ではここら辺ぐらいまでが限界だろう」と悟ったときがあったんです。自分がラッキーだったのは、読者とのすり合わせをそこまで考えすぎなくても、たまたま10年くらいは食べていけたことです。それでも、このまま同じことを続けてどんどんと縮小再生産になっていって、漫画家として終わっていくのは嫌でした。だから、ある意味これまでの自分を全て捨ててでも、新しい自分に変わっても良いんじゃないのか?『さんかれあ』から絵柄が変わったのは、つまりそういうことです。
相当な覚悟の上でやっていました。結果が出るまで、特に単行本1巻目の売れ行きが分かる1週間前までは、寝ようとしても寝られない食べたものは戻すと、とにかく酷い有り様でした。変わろうと頑張った結果がここで出る、間違っていたらどうしよう……とただひたすら不安でしたね。

しかし、今や『さんかれあ』は別冊マガジンの看板作品の一つと呼べるほどになっていると思います。実際に作風をガラっと変えたことによって、先生ご自身の心境の変化などはあったのでしょうか。

はっとり実際に変えてみて気付いたのは、あれだけ変えても見る人は見てくれるし、昔からの人も結構ついてきてくれているということです。もちろん、「昔のほうが良かった」と言う人も多いとは思いますけどね。それよりも、より多くの新しいファンを得られたということが大きいんです。「自分らしさ」を自分の中で勝手に決めつけちゃって、それを守って作っていても駄目だというか、そういう風に作らなくても多くの人に共感されたり喜ばれたりするものが作れる。そこがわかったというのが良かったです。
だから、『さんかれあ』が終わったら今の絵柄をすっぱりと捨てます。それで駄目な絵になったと言われるかもしれないけど(笑) でもそれぐらいの気持ちで自分を更新していかないと、流行り廃りが激しい今の時代は生き残っていけないと思います。来ているアシスタントさんにも「3年に1回は絵柄を変えろ」と良く言っています。それぐらいでないと、今の時代じゃ流れについていけないと思うんです。

そうやってどんどん変えていくと、自分の「個性」だった部分も消してしまったりはしないのでしょうか?

はっとり「これが自分の個性だ」と変に意識しなくて良いと思います。アニメのキャラクターデザインを多数担当されている方とお酒を飲みながら意気投合したことがあったんですけど、そこで同じようなことを言っていたんです。その方は、「捨てても捨てても残っているものが、その人の『個性』なんであって残そうと思って残しているのは個性とはいえない」とおっしゃっていました。本当は、亡くなったある方を偲ぶための会をホテルでやっていたんですが、お互いで「そうそうそう!」と会そっちのけで二人でずっと喋っていました。偲ぶ会で偲ばずに大盛り上りしちゃって、まったく死を偲んでないよこの2人!という(笑)
とにかく変えても変えても、それでも残っているものがある人がプロになっていくのかなと思っています。

そのような中で生まれた『さんかれあ』は、先ほど「自分がゾンビ漫画を描くとは思ってもいなかった」とおっしゃっていましたが、どのようにして連載案がまとまったのでしょうか?

はっとり『ウミショー』が終わって「週刊はもう辛いから嫌だ!」と出ていってから、「別冊マガジンという雑誌を新しく出すから描いてみないか」と声を掛けて頂いたんです。
最初は「ダークファンタジーを描いてみないか?」という話だったんです。はじめの内は正直断ってほうっておいたんですけど、たまたまゾンビ映画を観ていたら「ゾンビもの、ダータファンタジーものをはき違えた微妙な感じが逆にいいな」と突然ひらめいたんです。
とはいえラブコメにゾンビを足した作品は、すでにいくつかあったんですよね。実際自分もゾンビものをやろうとしたときに、被らせないためにも試しに世に出ているゾンビ漫画にかなり目を通したんです。本気でサバイバルものをやっているものもあれば、毛色を変えたラブコメものもあったんですが、大体女の子の首が簡単にもげたり、肌が緑色の女の子とか、女の子がゾンビであることを前面に押し出したものが多い印象でした。そっち系はたくさんあったから、自分はそこじゃないものを目指そうと。「ゾンビなのに、見た目はゾンビじゃなさそう」って、案外誰もやってないよねと思ったんです。それはもはやゾンビものとは言えないのかもしれないのですが(笑)

題材はよくあるものでも、そこからいかに「ズラ」していくかが大切、ということでしょうか。

はっとりそこらへんは「見つけた者勝ち」みたいな部分があります。今だと流行りの絵を描くのはみんな出来ちゃうから、今は逆に「アイディア勝負」の時代だと思います。まだ誰も手を付けていなかった意外な部分を誰が先取りするか、新人ベテラン問わずそこにかかってくるかと。『テルマエ・ロマエ』なんて素晴らしかったですよね。あの作品を描くために、前から好きだったり調べていたりしたのでしょうけど、そういうその人ならではの視点が必要だと思います。漫画とかゲームとかアニメだけだと偏っちゃう部分があるから、それ以外のところで好きなものがあるとすごい「武器」になります。それが多ければ多いほど、使える引き出しが増えます。
アニメ作品を隅隅まで観ていれば、アニメ化するような作品が描けるかと言われればそれは別の話で……自分もアニメ自体は好きなのですが、追いすぎると狭い方向に行き過ぎちゃうので、そのあたりはアシさんとかに今どの辺が流行っているのか聞き出して、自分でも調べ漠然と旬の絵柄を捕えるぐらいに留めています。少し頭の片隅に置いておくぐらいのスタンスが自分は好きですね。普段はテレビアニメをまったく見ない人間が、2度もアニメ化しているんだからあながち間違ってはいないかと(笑)

実際『さんかれあ』はアニメ化もされましたが、アニメ化以前以後で環境に変化はありましたか?

はっとりアニメの依頼を受けるのは結構難しくて、実は『さんかれあ』も一度は断ったんです。仕事量が極端に増えるのは目に見えているし、アニメが終わると自分の作品までもが終わったような気分になっちゃうんですよ(笑)  燃え尽き症候群じゃないけど、そこらへんが難しいんです。
それにアニメ化すると、単行本自体の売り上げはびっくりするほど跳ね上がるんですけど、アニメの売り上げとは別なんですよね。アニメが売れないでいると責任感を感じるし、自分だけ生き残ってしまったような罪悪感があってそれも辛い。なので、さびしい話ですけど「アニメにはまったくタッチしない」というのも、漫画家にとっては一つの手なんです。そうすれば気持ちがそっちに引っ張られることはありませんからね。
それでも、同じ「物」を作る人間が相手なので制作側に回るのはすごく面白いです。漫画って基本一人で作る物だから、皆で作るアニメの現場はものすごく刺激になるし、色んな才能を持った人間が山ほどいます。そういった人達が協力して一つの作品を作り上げている様子を味わえるのは本当に楽しい。正直自分の作品が原作のアニメは、放映される前が1番好きです(笑) 作っても放映しないで、楽しい気持ちだけ残しておいて……というのが偽らざる本音です。

最後に、漫画家を目指す学生の方にメッセージを!

はっとり今は昔よりもデビューまでのハードルは低いかもしれません。雑誌の新人賞をとらなくても、ウェブで話題になるとか、同人で人気が出てスカウトされるとか、色んな方向性で発表する場がありますよね。
半面、デビューしてからのほうが人が溢れている状態なので、その中で特色を付け2~3年スパンではなく、10年~20年単位で生き残るために、どういうものを作っていけばいいのかが重要になってくると思います。
絵でも良いし話の仕掛けでも、「腋フェチ」でも何でも良いんですけど、自分が物凄く強くこだわっていることを、まずは本当に大切にして作品を作って欲しいです。それと同時に、その強いこだわりを完全に捨てられる勇気も持って欲しい。その両方が必要だと思います。こだわりを、「これは絶対にオレだけものだ」と思うのも大切ですけど、ときにはすべてを捨てて新しい可能性を探さないと縮小再生産に陥ってしまいます。こだわりすぎちゃうと、新しいものを取り入れなくなってしまったり、気づくと時代から遅れていっちゃったり。
それでも、自分のこだわりを捨ててしまうのは怖いことかもしれない、かなり勇気がいることです。ただ捨てたからといって、自分の本当の個性がなくなる訳ではありませんので。なんでこんなことまで考えているかといわれれば、「ベテラン」と言われるほどには漫画家業を続けてきて、生き残るためにはそういうことまで考えないといけない、苦しい状況にいるからなんですけどね(笑)

hamiy


せんちゃん(眉ほそ)あたたメモ
名前は伏せさせて頂きましたが、インタビューで話題にのぼったキャラクターデザイナーさんは、ここ10年のアニメ界を代表する超一線級の方で自分も聞いたときはびっくりしました。ともあれ、作家の「個性」にまつわるお話などは自分も目からウロコでした。記事を読まれた方が抱く「ラブコメ漫画家像」が少しでも変化したのなら、書き手として1番嬉しいです!


 

文責:あたた(@atatakeuchi)