マガジンが誇るラブコメ作家陣でもエース級の活躍を果たしている中のお一人、はっとりみつる先生。『ケンコー全裸系水泳部ウミショー』の天真爛漫な元気娘「蜷川あむろ」や、ゾンビ好きな主人公のため、自らゾンビっ娘に変身してしまった黒髪ロングお嬢様「散華礼弥」が登場する『さんかれあ』など、次々と魅力的なヒロイン達が登場する作品を産み出している。しかしその制作の裏側では、作品を通してでは決してわからない「意図と戦略」があった!?サービスの「サ」の字も知らなかったという新人時代から、『さんかれあ』にて読者を驚かせた絵柄・作風の一大変化が起きた「本当の理由」まで、先生の漫画家人生の足跡を辿るファン、そしてすべての漫画家志望者必読の入魂10000字ロングインタビュー!

 


サービスシーンは考えるのも嫌だった!?

初めて絵を描かれたのはいつ頃ですか?

はっとりみつる先生(以下はっとり)昔から絵を描くのは好きでした。それと図鑑が大好きで、自分で図鑑を描いて作っていましたね。「山」の図鑑とか「川」の図鑑とか。川で暮らしている生き物とかではなくて、横の川とかななめの川とか、川の形そのものの図鑑(笑)
そういうことをやっている内に、小学校2年から3年くらいの頃には気づいたら落書きっぽい漫画を描いていたと思います。

その後の学生時代はどのように過ごされていましたか?

はっとり高校はふらふらとゲーセンに通うただのゲーマーでした。 絵は描いていたけど作品を投稿もしたこともなく、同じ学校にサンデーに投稿して入賞していた子もいたんですけど、「すげーなー」と思うばかりで対岸の出来事でした。漫画家を目指してはいるけれど、漠然と考えているだけで具体的なことは何もしていない、よくある志望者の一人でしたね。

高校卒業後は、専門学校に進まれたそうですね。そこから具体的に将来のことを考え始めたのでしょうか?

はっとり専門学校に行くと決めた時点で、将来は漫画家になろうと思っていました。
専門学校を選んだのは、同じ漫画家を目指している人に会って刺激を受けたかったというのと、あとは東京に行くための口実でした。実家からは名古屋校のほうが近かったんですけど、親には東京校しかないんだと嘘を付いて説得しました(笑)

専門学校生のときはどんな学生でしたか?

はっとり自分ではさぼっているつもりだったんですけど、周りの人と比べると相対的には頑張っている方でしたね。あの頃が1番睡眠時間削って漫画描いてたと思います。夏休みに1本作品を描いてこいと課題を出され、1日2~3時間睡眠を1ヶ月近く続けて、30ページほどの作品を描き上げました。今もブログで「睡眠時間削らなきゃ!」とは言っていますが、「うわー6時間ぐらいしか寝れないー」とかそんなレベルです。基本は8時間寝ないとやれない人間なので。昔と比べるとすごくぬるい(笑) あの頃はよくやれたなっていまだに感心します。
それで夏休み明けに作品を持っていったら、他の生徒は誰も描いてきていなかったんです。みんな本気で漫画家になる気はないのかな、とそこからモチベーションが下がってしまって、あまり漫画を描かなくなってしまった時期もありました。

そんな中、再び漫画を描けるようになった転機はあったのでしょうか?

はっとり専門を卒業してから1年くらい、投稿作を描こうとはしていたのですが、実質1本も描けませんでした。周りの友達も同じ感じで、目指す目指すとは言いつつなかなか描こうとしない。なんとかこのぬるい空気を断ち切りたい!と思って、「俺、漫画家諦める」と周りに宣言したんです。まあ、今思えば嘘だったんですけどね(笑) とにかく、自分は趣味で描くからみたいな感じで、当時の嫌な空気から逃がれようとしたんです。実際、趣味で描くという気持ちになってからはすごく気楽に漫画を描けるようになりました。内心、「気楽になったらまた漫画描けるだろうな」とも思っていて、それで描いたヤツを持ち込んでしまえば良いじゃんという、打算的な面もありました。できちゃったモンはしょうがない、持って行くしかない(笑) そこではじめて、自分の足で持ち込みに行くようになったんです。

1番最初はどこに持ち込みに行ったんですか?

はっとり講談社の『アフタヌーン』でした。芦奈野ひとし先生の『ヨコハマ買い出し紀行』が大好きで、最初のうちはやっぱり好きな作家さんが載っているところで描きたかったんです。
ところが持ち込んだときにまず言われたのが「とにかく暗い、地味」。当時はパンチラとか描くのが大嫌いで、描くのも苦痛なほどでした。いかにも新人がアフタヌーンの四季賞に投稿しそうな作品というか、そういうサービス一切なしの漫画を描くのが大好きだったんです(笑)

現在の作風から考えると驚きです!そこから何故今の様な作風に変わったのでしょうか?

はっとりなんでこんなサービスサービスした人間になったかというと、編集さんのおかげなんです。
アフタヌーンの次に持ち込んだ『モーニング』も駄目で、その頃には「まずは作品が載ることが大切なんだから雑誌は選ばない」という気持ちになっていました。それなら1番チャンスがあるのは若い雑誌だろうと、当時できて1年半ぐらいだった『ヤングマガジンアッパーズ』に持ち込んだところ、初めて担当が付いたんです。
その担当に、「君は女の子が可愛く描けるんだからもっとサービスシーンを入れろ、手始めに『パンチラ』を描け!」と言われたんです。

そのアドバイスを受けて、すぐさま今の作風に転換していったんでしょうか?

はっとり最初は媚びるのが嫌で嫌で(笑)  ラブコメ自体も描いたことが無かったので、最初は突っぱねていました。ところが、初めてパンチラを描いた作品がそのまま入選、その作品をベースに1年後には『イヌっネコっジャンプ!』の連載が始まったんです。最終的な単行本の売り上げはそれほどではなかったのですが、アンケートは1話目が雑誌2位で、11話目の時点で1位。「なんだ、これが良かったのか!」と当時は思いましたね。

編集さんの助言のおかげで、自分の中の才能に初めて気がついたんですね。

はっとり作っている側だと、意外と自分の得意分野って気づかないものなんです。そういう意味で、編集さんは漫画家にとって大切な存在です。
作家さんによっては1人でなんとかしてしまう方もいらっしゃいますが、自分はどっちかというと編集がいないと描けない人間です。頼り切るって訳じゃないんですけど、本人にもビジョンがある編集さんと作品を作っていく方が自分は面白い。「なんでも描いていいです」という方が相手だと正直描きにくいというか、描いていてあまり面白くないです。「はっとりさんこういうの描いたことないようだけど、どう?」と意外なものを持ってきてもらえるとまず自分が面白がることができます。『さんかれあ』もまさにそういった感じで、話を振られるまで自分が「ゾンビ漫画」を描くとは思ってもみませんでした(笑)
そういう「自分では気付かなかった部分」を引き出してくれる編集さんと、作品を作っていけると嬉しいですね。