現在BL業界は、ジャンルの枠を超えて新たな才能を綺羅星のごとく次々と生み出しています。その中の一人が、今回のお相手となる雲田はるこ先生。複数のBL誌で作品を掲載、そして現在講談社『ITAN』にて、本格的落語家漫画『昭和元禄落語心中』を連載中。作年のC83に配布した東京マンガラボ2012冬号にて先行掲載したインタビュー記事の完全版を公開します。ボリュームは冊子版のなんと5倍以上!最後まで心置きなくご堪能ください~(ドドン!)

 


漫画描き始めから同人時代まで

本格的に漫画を描き始めたのはいつ頃でしょうか?

雲田はるこ先生(以下雲田) 一般的には遅い方だと思いますが、描き始めた頃には既に二十歳を超えていましたね。まずは同人誌を描き始めたんですけど、漫画の描き方がほとんど分からなくて、最初は鉛筆描きの4コマ的なものしか描けませんでした。

そのような状態から、どのようにして描き方を覚えていったのでしょうか?

雲田 アシスタントをするようになったことが大きいです。友達の友達が編集者さんでアシを探してらっしゃったんです。3~4年続けていたんですけど、その中で多くの事を学ぶことが出来ました。

具体的に何かテクニックを教わったりしたのでしょうか?

雲田 いえ、仕事場では基本的に世間話みたいな話しかしないんで(笑)、特に先生から直接何かを教えられたわけではありません。実際に生原稿に触れることや、描いてる手元をチラ見することで、勝手に盗んでいった感じですね。生原稿は見るだけでもすごく勉強になります。最近では漫画家さんの展示会などで拝見できる機会もたくさんあるので、学生さんも是非、率先して見ることをおすすめします。

プロの技を間近で見ることができるのは、確かに貴重な体験ですね。デビューはBL雑誌からですが、どうしてBLを描くようになったのでしょうか。

雲田 BL作品を描きたいという欲求がまず先にあって、その後色んな漫画を読むことによって勉強していきました。

先に「描きたい」という気持ちがあったんですか?

雲田 はい。萩尾望都先生や竹宮恵子先生の少年ものとか、好きな作家さんのBL作品は抵抗なく読めたので、素養があるのは分かっていたし、「描けたら楽しそうだな~」と思っていました(笑)

読んで好きになったジャンルを描くのではなくて、描きたいという気持ちが先行していたというのが興味深いです。作品の中から学んだのはどんなことでしょう?

雲田 BLって、お約束というか、守らなければいけないルールがたくさんあるんです。たとえば、濡れ場はなるべくあった方がいいとか、最後はハッピーエンドが好ましかったりとか。その代わり、それさえ描いてあれば漫画の部分は何を描いてもいい、という自由さもあって。BLというジャンルが広がり続けているのも、その自由度の高さが大きいと思います。最近次々に面白い作家さんがBLから出てきますけど、やっぱりジャンルが元気のある証拠だなって思います。あとBLは、読後感が心地好いのも魅力ですね。

それは具体的に、どのような?

雲田 「癒し」……ですかね?(笑) BL好きの社会人の中では、仕事で疲れて帰ってきて、寝る前布団の中で読む人も多いらしいです。他の漫画って、どういう形で終わるのか最後まで分からないじゃないですか。BLは、どんなことがあっても最終的には必ず癒しを提供してくれるという安心感が、かなり大きな魅力だと思います。

とても 勉強になります! 一番最初の同人誌は、どれくらいの部数を刷りましたか?

雲田 50部くらいですかね。

初参加としては、ずいぶん強気な気がします。

雲田 そうですかね? 自分が描いていたジャンルは、私が描き始めた頃にはもう落ち着いていて、漫画を描く人も珍しい感じになっていたので、おかげで初めての同人誌も、無事に完売することができました。

最高で、何部くらいまで刷りましたか?

雲田 300部くらいですね。私が描いていたジャンルはマイナー寄りだったんで、壁サークルっていうものがいなくて、島中で細々と活動を続けていました。

 

オリジナルを描くことなく商業デビュー!?

同人活動の傍ら、持ち込みや投稿はしていたのでしょうか?

雲田 同人誌をやりながら、持ち込みや投稿もしなきゃな〜とは思いながら、結局一度も出しませんでした(笑) 同人誌が楽し過ぎていつまで経ってもオリジナルが描けなくて。いくらパロディを描いても、オリジナルを描ける自信が持てなかったんですね。今でも、自信なんか全くないですけど(笑)「まだプロに見て頂くレベルには達していない」とずっと思っていました。そうしていると知り合いから私の同人誌を知ったらしいとある編集者さんから、「ウチで描いてみない?」と声を掛けて頂きました。届いていないと思っていたのが、意外にも基準には達していたみたいで (笑) なので結局、私が人生で初めて描いたオリジナルは、商業デビュー作の『窓辺の君』になるんです。

デビューまで一度も描いたことが無い、というのは驚きです!その『窓辺の君』に収められている作品は、いわゆるアンソロジー雑誌に描かれたものですよね?

雲田 そうですね。オリジナルを描いたことが無かったので何を描いたら良いかわからなかったんで、毎回テーマを出して貰えるのは有難かったです。とはいえ、最終的にはどれもほとんどテーマに沿えたな、と思った事はありませんでした。考えすぎたんでしょうね〜(笑)

やはり、初期の頃は反省点が多かったのでしょうか。

雲田 毎回勉強のつもりでしたね。不思議と、雑誌に載った作品を見ると、描いていた時には気付かなかった反省点がはっきりと分かるんですよ。あれだけで相当勉強になると思います。隔月の雑誌だったので時間的にも余裕があって、毎回終わるごとに、反省点をノートにまとめていました。自分の中では、また一から漫画を覚えていった気持ちです。

その後は、様々な雑誌に作品を載せていくことになりますよね。

雲田 講談社の編集さんが『窓辺の君』を読まれたそうで、「今度ITANっていう雑誌を作るから描いてみない?」と声を掛けてもらいました。ITANは創刊するまでの準備期間が結構ありまして、そうこうしている間にシトロンからも連載の依頼が来ました。結局同時に連載を始めることになったのですが、結果的に良いことがありました。交互に作品を描いていったんですが、内容が全く違うので1回毎に気分を入れ替えることが出来ました。

シトロンもITANも、創刊号から作品を載せることになっていますよね。雑誌の色が決まっておらず手探りで作品を載せることになると思うのですが、不安は無かったのでしょうか?

雲田 元々単行本派なこともあって、どの雑誌で描きたい、というような希望がほとんど無くて。漫画家になったのならとにかく、「単行本を出してみたい」という気持ちが1番にありました。なので単行本を出して頂けるなら、どんな雑誌でも描くつもりでいました。

それと漫画家の友人から「創刊号からだと、好きに描けるから楽しいよ」という話も聞きました。名前の知られた雑誌だと、読者さんはその雑誌のイメージをプラスして作品を読みますよね。逆に創刊したばかりなら雑誌のカラーも決まっていないし、自分の作品をそのまま受け取って頂けると思ったんです。

そういう点では、『昭和元禄落語心中』はどこに向けているのかよくわかっていなかった(笑) 結果的にITANで連載することが出来たのは良かったです。ITANって、未だに青年誌なのか少女漫画誌なのか判別できないような、ジャンルフリーの独特なカラーの雑誌なので、だからこそ落語好きの男性やご年配の方にも抵抗無く読んで頂けてるんじゃないかなと思っています。他の雑誌ですと、また違った形で届いてたろうな〜とは思います。