現在、『コミックビーム』にて『逆流主婦ワイフ』、『まんがくらぶ』にて『土曜ランチ!』を連載中のイシデ電先生にインタビューを行わせていただきました!様々なことを模索、挑戦し、漫画を描き続ける先生の、漫画家になるまでの経緯や、漫画制作方法、そしてその過程にある苦労と努力とは……!


初めて漫画を描いたのはいつですか?また、それはどのような漫画でしたか?

イシデ電先生(以下イシデ)一番古い記憶は小学5年生のころ、近所に住んでいた友人と交互に描いたリレー形式の漫画です。ノートに鉛筆で。「大泥棒が、飛んでいるヘリから飛び降りて宝石店のガラスをぶち破ってガッシャーン!!」みたいな漫画……にしたかったのですが、友人は「アイドルグループのなんとか君と恋愛するふつうの女の子」みたいなお話が描きたかったようで、私の描いた”怪盗もの”を強引に”芸能界の話”に軌道修正してしまうんです。で、さらに私がけっこうなページ数を費やして”怪盗もの”に戻すという。その繰り返し。内容はともかくその攻防がすごくて、ノート数冊分は続いた気がします。でも、完結はしなかったんじゃないかな。ひとりで描いた方が早いって途中で気づいたのかもしれません。けれど、それ以降何年も漫画を描いた記憶はないです。競争相手を失って張り合いをなくしたのかも。

漫画家を志したきっかけをおしえてください。 

イシデ最初は志なんていうかっこいいものではなかったです。19歳の時に、ふとした思いつきで。漫画家になったら友だちがびっくりするかなあ、趣味で描くよりも雑誌に載った方が面白いよね、って。漫画家ならひとりでできるし元手もそんなにかからないし簡単になれそうだし、なれなくても半年くらいやってみてダメだったらやめればいいや、ぐらいの軽い気持ちで。……ぶん殴りたいですね。半年どころか、その後10年下積みすることになるので許してください。本当に、お天道様は見ているなあと思います……。最初は必ずしも漫画でなくてもよかったような気もします。昔から、人を面白がらせたり人に面白がられたりすることに、とにかくシビレるんです。身近な友人数名をターゲットにするところから始まってだんだん範囲が広がっていって、自分の知らない人にも、できるだけたくさんたくさんの人に面白がってもらいたい!となって現在に至っています。

漫画制作に影響を受けた漫画と、好きな漫画を教えてください。

イシデ一色登希彦先生の『ダービージョッキー』。アシスタントをさせていただきながら漫画の作り方を教わりました。志村貴子さんの『敷居の住人』。手伝わせていただいた『放浪息子』も『青い花』も大好きですが、いまだに強く影響を受けていると思うのは、やっぱり『敷居の住人』です。新人のころから中~短編でがっしりストーリーのあるお話を描くことに憧れていて、自分も短編描きになりたいと思いました。川口まどか先生の『死と彼女と僕』『やさしい悪魔』シリーズや、山下和美先生、渡辺直美先生の作品が好きです。かわかみじゅんこ先生の『ワレワレハ』や小田扉先生のショートを読むと「うおお漫画かきたい!!」ってなりますし、当然志村貴子さんの『どうにかなる日々』も外せません。最近こうの史代先生の作品を読み返したら「思った以上に影響受けているなあ!私」と思ったし、作品だけでなく漫画に対する姿勢や同年代のフリーで働く女性としても尊敬して影響を受けているのは岩岡ヒサエさん。他にも順不同でたくさん。ありすぎて上げきれません。
中学生のころ、「ちびまる子ちゃん」「ぼのぼの」がすごく流行って、そのころはまだ漫画家になりたいとは思っていませんでしたが、この2作を読んで「お話を作る仕事」への憧れができたように思います。

アシスタントをされて、どのようなことを学びましたか?

 イシデいろいろ学びました。画材の扱いに始まり、作画の技術的なことはもちろん、お話の構成に画面構成、打ち合わせの仕方とか、個人事業主としての考え方とか。片っ端から一色登希彦先生のお仕事場で学ばせていただきました。今でも7割くらいは一色先生に教えていただいた作り方で描いているのではないかと。ラクしているな~授業料も払わないで、って思います。志村貴子さんから学んだのは…カレーのおいしさとか……?志村さんのお仕事はもう、見ることそのものが衝撃的な体験というか。感覚的な?本能的な?魂!?みたいな。すみません、うまく言えないのですが、理屈で咀嚼嚥下しきれないできごとをただただ口開けっ放しで目撃している感じです。

 漫画家デビュー前の漫画制作活動では何をされていましたか?

 イシデアシスタントをしながら商業誌へ持ち込みをしていました。同人誌を作ってコミティアに参加したりもしましたが目的は「出張持ち込み編集部」に並ぶためで、あくまでプロになるきっかけをつかむための参加でした。

投稿や持ち込みにて学んだことや、それをどう次回作に生かしたかをおしえてください。 

イシデいろいろ、編集さんに言われたことも師匠に言われたことも何かで読んだやり方も単なる思いつきも、なんでもかんでもやたらめったら試したはずなのですが、ほとんど覚えていません。なかにはうまく生かせたものもあったでしょうけど、トンチンカンなこともたくさんやったと思います。ひとつ、持ち込みを始めたばかりのころ担当さんに「キャラクターの強さっていうのは外見の特徴やしゃべり方や特技なんかもあるけれど、それに匹敵するくらい際立たせるのは”思いの強さ”」というようなことを言われたことがあります。そのころ自分はまだ絵もネームも全然描けていなかったので、すぐに次作で生かせたかどうかは怪しいですけれど、今でもときどき「うんうん」って思い返します。

複数の賞を受賞されましたが、どんなお気持ちでしたか?また、漫画制作への影響はありましたか?

 イシデ受賞するかどうかよりも掲載されて読まれることが目的だったので、正直うれしさよりも「また読んでもらえないのか…」という苦しさの方が勝っていました。掲載を目指す以上、賞に入るのくらい当たりまえと思っていました。やな感じですね……。その一方で「賞に入るってことは一応読みものとしての体裁にはなっているんだな」と少しほっとする部分はありました。人から見た自分の漫画が果たしてちゃんと漫画のかたちにできているのか、ずっと疑っていました。
賞金はすごくありがたかったです。貧乏でしたから。賞金で机や本棚を買ったことで作画環境が良くなったという意味では制作に影響あったと言えるかもしれませんが、受賞そのものが制作に影響するということはないです。

デビュー後の同人活動はいかがでしたか?

イシデ即売会には読者さんに会いたくて参加していました。単行本の宣伝をしたいとか、打ち切りになった漫画の続きをかきたいとか、その時々で参加する理由はありましたが、結局は読者さんに会いたいということに尽きます。今後参加する時も動機は変わらないんじゃないかと思います。常に読者に飢えています!

漫画制作において読者からの影響を受けることはありますか?

 イシデお話の内容そのものには今のところあまりないように思います。掲載誌の読者層を想定して設定を作ることが制作への影響に含まれるならあると言えますが。応援や感想をいただけば「よーし、やるぞー!」って、てきめんに元気が出ますし、面白くなかったと言われればどんより落ち込みますが、どちらかというと暮らしへの影響に近いです。ときどき読者さんからいただくお手紙に、その方の人となりや考えが細かく綴られていることがあって、だんだんキャラが立ってくるというか、ちょっとした取材のような興味深さがわいたりすることがあるので、このさき何かしらの影響が出てくる可能性はあると思います。